[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
その友人が私が欲しいレコードを買ってくれて、私は大学に行かずにその家でよく聴いていた。
その中に衝撃の曲があった、ルイス.ピホー「舞曲第1番」そのレコードに譜面が記されていたので必死に写した。音源だけではどうやって弾くのか全く分からなかった。
今ごろになってYouTubeにその弾いてる姿を見つけた。
もうなんともすばらしい右指の力強い動きですね。
そのとき写し取った譜面を、やっと今日譜面ソフトに入力できた。
いかがですか、これ弾いてみたい方譜面を提供しますけど・・・・。
定演のアンケートに最近毎年あるのは”足で拍子を合わせるのを止めなさい!”があります。そうなんです客席から見ればいかにも素人ぽい!指揮者が棒振ってるのだから本来要らないはずなんですけどねぇえ。
私は体を前後左右に動かすようになっている。これは前席で演奏するようになった学生時代指揮者が見えにくい後ろに何とか伝えたいが為身についてしまったもの。これは客席から見てもまぁOKですよね。もしかすると乗って演奏してるようにも見えたりする。
足で調子をとる人は独奏を楽しむ人に多いのではないかと思う。これもできたらメトロノームのほうがいいんですけどね。なぜなら”あんたの足踏みが指揮に合ってないよ!”ってことがあるんだよなぁ。これがまた回りの演奏者にエッらい迷惑なのよね。気が付いて欲しいんだけど、直接本人に言えないのも確かなのよ。
さてさて、ジャズ喫茶に入って足で拍子を取ってるあなた、まさかズレてるって事ないですよね(ハハハ)、でも本人には分からないことだから厄介ですよね。
12月20日にはある大マンションのクリスマス会で演奏しました。会場まで(国分寺から東大和)自転車で行くことにした。一応地図を確認して1時間と予想、向かった結果2度も間違えてしまったけど小ミスですみ時間以内に着くとは、”ヤッタ!”という感じ。
演奏後トン汁、お餅をご馳走になり、さぁ帰路に。地図のイメージはできてた、のに早い時期に間違えてしまった!大ミス!かなりの遠回りとなってしまい、1時間をオーバー背負ったギターは重くなるし寒いし散々なことになった。
夜になると方角が定かでなくなることの計算ができてなかったと反省!。それと間違えたと気づいたとき戻ろうとしないこの性格・・・まぁ今更ながらあきれる。
12月ブログ更新もままならずなのに訪問してもらって申し訳ない気持ちでした。
今年もよろしくお願いします。
8通は親ですね、どうしてもそうなる。昭島の友人は介護で同じバイトもできなくなって苦しんでいる。一度はめぐってくる事とはいえしんどいと思う。
残る3通は本人、考え深い思いがある。
一人は学生のときマンドリンクラブの同期、卒業以来会ってないから思い出すのは当時の顔。夏休みに製本のバイトで世話になったっけ。
一人はやはりマンドリンクラブの1年先輩、ベース担当で後に指揮者となった方。身長がでかくて、やさしくてどれだけ救われたことか。卒業後も何度かお会いしてた。3年前にすい臓癌になり摘出したのに。
一人は私が30代後半に出向先でお世話になった”師匠”というべき方。FT(ファミリートレーニング)の有効性を目の前で見せてくれた。
「最近思うことは?」
「工場に質問とか対応を依頼してるんですが返事が遅すぎるんです」
「それはねぇ君があと30年勤めても変わらないよ。でもさぁ山のように積んである依頼書から自分のを先に処理してもらう方法はあるよなぁ。君が人に物を頼まれた時はどうしてるかな?」
こんなことは学校ででも教えてくれないだろうと思った。
どう見ても本人が用意したと思える「喪中はがき」!
「私、□□□□□は五月三日に65歳で人生を卒業し、黄泉の国へ単身赴任いたしました。・・・・・・」
ってあのぅ、、、”まぁ笑って送ってよ”という声が聞こえてくる、、、。
人との出会いを大切にと思ってきた。その分余計に数多くのさびしい別れを味わうことになった。今思えば私のためだけにいてくれたと思える先輩師匠が沢山いてくれた、感謝に耐えないです。
定演の最後の曲とした、それには反対意見も多く、
「一般の人は知らない」「曲の印象が暗い」・・・・・・・・
とりあえず楽譜を用意したのは私、広島の同期で年上の友人からパート譜を送ってもらった。それをスキャン楽譜ソフトに取入れ手直しを加えスコアを完成させた。
確定はなんといっても指揮をする初ちゃんの意見!私は実は学生のときに演奏していません。どんな局かも知らなかった(笑)けど「鈴木静一」を弾きたかった。
組曲「山の印象」鈴木静一作曲
第一楽章:夜明け
暗く 深く 山はまだ眠っていた
暗黒から薄明への微妙な光の変化がおこる
神秘な山のめざめをマンドチェロが静かに奏す
やがて(一)日の出の時が近づく
谷々を埋めていた霧の動揺が始まる
そして東の空の淡紅が光を増し
恵まれた晴天の朝の陽が輝き出る
第二楽章:山行く歌
ゆるやかにつらなる尾根を 若人の群が辿って来る
爽快な山歩きは明るい歌声となり
山のいたずらもの"こだま"がはしゃぐ
若い足は すでに尾根から尾根をつたい遠ざかって行く
第三楽章:高原の午後
山の牧場の真昼は すがすがしい郭公の声が
やすらう人達の眠気を誘う
草原に寝ころび見上げる大空は美しく晴れ
木々の青葉そよがせる風が
汗ばんだ肌に快い高原の真昼
第四楽章:麓を指して
登りには顎を出させられた山も
下りには快適に足が弾む
刈草を積み 鈴の音も軽く下ってくる馬とも競争――
爽快な そして ちょびっと哀愁の感じる下山の情景
この曲は23才(1924)の処女作で、映画音楽界からマンドリン界に戻った1965年に改作された。
指揮者の初ちゃん、飲めないのにギターの職人(?)と3人定演一週間後に飲んだ。話題はやはりこの曲に集中でして、共通してたのは、
「こんなにいい曲だったっけ・・・・・・」
「お客さんのアンケートも”よかった”って」