2008/11/27
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あえて口に出してその人に言う言葉ではなくて、ただひしひしと感じるものと思ってきた。が、一体どこからその感情が始まるのかを最近考える。
「お客様に信頼されるように仕事を頑張ってください」とか、
「信用が第一です、気を抜かないように」
本当にそうなのか、ただひたすら頑張っていれば信頼されるのか?
一方最初に営業部門に行くと必ず言われること、
「営業の第一は自分を売ることです」
そんなぁ、あいまいな。。。
意外なことですが”自分を表現する”って簡単な方と苦手の人がいるんです。演出?いやもっと言えば自分が自分の演出家っつうと落語家だぁな。
信頼の始まりは「相手を知ろう」とする興味からではないだろうか?そして自分にないものを感じたり、同じ感情を感じたりして「このこの人なら」と思うのではないか。
今までなんで?と思うことが沢山あった。そういう意味では頑張ってはいないのにである。
「あぁあの人と開発やったのかぁ、飲みにいこうか」となった。まるで間接的な信頼のような。
そもそも、職種、役職で人を判断してはならない、仕事に上下はないと考える。あるのは大きな社会の一人分の役割を果たすこと、時計の中の1つの歯車のようにである。厄介なのは人には見栄とか自尊心とかこれを惑わす感情があること。
佐伯泰英「陽炎の辻」~居眠り磐音江戸造紙・・・ここに絶大な信頼と愛が描かれている。ここ数ヶ月日1冊の割で読む。信頼したあとの相手の対応がなんとも凄い。そんな事無いないと思いながらなのです。
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