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2008/11/27
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2002-1226-10.JPG 浜松町で飲むことが多かった。有名な「秋田屋」も入社当時はいつでも座れるお店だった。店員のおばちゃんが気になる人にだけにサービスのお新香を出した。はい、私も何度か出して頂きました。
 浜松町が徐々にビジネス街になり飲み屋の種類も増えてきたのに、どこも満員で入れない!ある日の三人、いい加減探し回って、ふと目の前に中華料理「勢竜」の看板、
「こういう店での飲み方を教えてやるよ」と偉そうに、ん?1Fにお客が誰もいないよ、、、、不安!
「2階にどうぞ」と、そこそこお客さんがいて食事という感じ。
で、レバニラ、餃子などと紹興酒2本。(一人は呑めない奴(笑))餃子が美味い。

 2度目、ほとんどお客がいない。ゆっくりマスターとお話しすることになった。覚えていてくれてて、いい感じのマスターでした。
 21時過ぎると料理人を帰してしまいマスターが一人で接客、料理と、、、無理だべぇ。
「うちは残業代なんて払えないから帰ってもらってる」あら、、、ふうーーん。

 私は会議が嫌いで、ましてや結論のない会議は最低、時間の無駄と思ってる。だから一度もやらなかった。
「私と話したい人は定時後に浜松町「勢竜」にいるからきてくれ」とした。
 それでいて「割り勘」にして文句が出なかった。むしろおごられるより言いたいことが言えたのではないかと思う。

 以来ほぼ毎日のように寄ることになってしまった。そのうちにマスター一人の21時以降が面白くなってきた。
「少し贅沢にカニ炒飯にするよ」マスターが作ってきた。
「どう見てもカニが入ってないじゃんコレ!」
「ちょっと待って」と、おもむろに調理場にいき、
「コレまぶして食べてよ」とカニ缶1個分を皿に盛ってきた。
なんとも怒るに怒れず、ただ笑うしかなかった。
 このお店がお客とともに変わって行く様を体験する、長いお付き合いがこんな風に始まった。
 

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 アルバイトは極端に忙しい日と反対に何もすることがない日があって、一週間上手く過ごさないとならない。忙しい方が私も皆さんもかえって楽だと一致する意見。忙しい日でも、ポッカリ1時間空いたりするともう睡魔が襲ってくる。なかなか難しい仕事になっている。

 それで、”枯れ木”の工作が始まったのだけど、しばらくすると仕事上のトラブルが起きた、、、と、やっぱし仕方なく自粛の方向に、、、。じゃ目立たなく”本でも読むかぁ”とした。

 本といえば25才までに夏目漱石から読み始めて純文学100冊を目標としてた。学生のころ「竜馬が行く」を友人が読んでるのを借りてから少しばかり方向転換してしまったけど、目標は達成した。

 その後、時代小説、推理小説、、外国もの、経済本、、、、と変わって行って、とうとう読みたい本がない。しばらくそんな状態でした。

 ラジオ・テレビドラマで気になってた本を先ずは、藤沢周平「橋ものがたり」「用心棒日月抄」「隠し剣孤影抄」「蝉しぐれ」これは傑作ですねぇ。池波正太郎「白黒」「鬼平犯科帳」「雲霧仁左衛門」これも傑作ですねぇ。作者二人の違いを感じる。方やしっとり気の動きを表し、方や内部に人情味を持ちながら淡々と進んで行く。
ほぼ一日1冊ペース。ん?息子から預かった本があった「テメレア戦記ⅠⅡⅢ」「ダビンチコード」”外国もの”は共通して仕掛けの用意周到さに圧倒される。
それから司馬遼太郎「韃靼疾風録」なにか歴史の空白を埋めてくれる感じがする。

 方向性も何もまったくなく滅茶苦茶に読んでるみたいですね。けどなーんとなく以前より全体を感じて読めるようになってるかなぁと思う。

 あぁーまたもやトラブル!私はこの1年3ヶ月ノーミスできてるのに!トラブルはどうも波・サイクルがあるみたい。いやこれ連鎖もあるから気をつけて自粛!自粛。
 



 関東各県に支店、営業所を持つ大会社にSE営業として訪問していた頃。考えてみると自分が相手より遥かに全支店に訪問していて、相当の数の人を知っていることになっていることに気づいた。
 この会社はほぼ3年で人事異動となり、本店⇔支店⇔営業所と異動する。関東とはいえ通えなければ単身赴任となり、寮は完備されている。

 最悪の話しというのを聞いた。
「会社でその上司と一緒で寮に帰っても一緒よ!こんな最悪な事ってないでしょ!」
ということもある。

 いつの間にか異動のパターンが見えてきて、次に誰が何処に異動になりそうかまで分かりはじめた。
 異動時期になると皆さんそわそわ、そんなある日、別れ際に、
「じゃ今度は神奈川で会いましょう」とやってしまった。
「えっ、それ本当!?」と当人追いかけて来る。それを上司が見逃さなかった!
「あいつは何処の奴だ、なぜ内の人事を知っている!出入り禁止にしろ!」
 ハハハまいった。あまりに的を得てしまった。後日本当に神奈川でお会いした。

 相手よりその会社内情も仕事内容もが、分かり過ぎるということがまずいと思うようになって、後輩にその役を譲ることにした。
 



 師匠の一人と言うよりか、まさかこんな上の方が私を注目してたとはの恩師。定年後の会社で「落語会」を開催した。呼んだ師匠は「立川談志」客席は70人程度のスペースに私はなぜか談志師匠から3メートルほどの真ん中の席。
 漫談風に噺、、、「真面目にやらないのかなぁ」・・・と、一旦降りてもう一度、今度は正装して壇上に、演目「らくだ」ぐいぐい引き込まれ、もう感動しました。
 終わったと思ったら、
「今日はいいお客様でかなりいい出来だったと思います。」
「私は落語の演者でありますが、もう一人の私が後ろで私の演出家としているんです」と。

 12年ほど前の話です。これは心に響きました。以来いろんな場面でこの話をしますが、理解する方は少ないですね。勿論私がその極みにいる訳ではないのですが、この感覚は持てるといいと思うのです。

 立川マンドリンでリーダーが私をを紹介しています、
「お茶目な話しぶりから、ちょっと誤解されているかもしれませんが」
 そうですね、ハハハ誤解OK!
 ITCAカンファレンスでレセプションの時間を演出6年やった。
「リーダーがラフで穏やかだったのが私は助かりました」と、
「いや、もしかしたら違うよ彼は」ん?感じる人がいるんですねぇー。参った参った。

 自分が一番楽な姿-言葉遣いが乱暴で、いい加減風で、落語風に会話を遊ぶ-これはいい。ん?これって談志かぁ?。



 毎年今ごろまでに何通かの喪中はがきが来るけど、今年は多い11通も着た!私か年を取ったことと関係するのかもしれないけど、、
 8通は親ですね、どうしてもそうなる。昭島の友人は介護で同じバイトもできなくなって苦しんでいる。一度はめぐってくる事とはいえしんどいと思う。

  残る3通は本人、考え深い思いがある。
 一人は学生のときマンドリンクラブの同期、卒業以来会ってないから思い出すのは当時の顔。夏休みに製本のバイトで世話になったっけ。
 一人はやはりマンドリンクラブの1年先輩、ベース担当で後に指揮者となった方。身長がでかくて、やさしくてどれだけ救われたことか。卒業後も何度かお会いしてた。3年前にすい臓癌になり摘出したのに。

 一人は私が30代後半に出向先でお世話になった”師匠”というべき方。FT(ファミリートレーニング)の有効性を目の前で見せてくれた。
「最近思うことは?」
「工場に質問とか対応を依頼してるんですが返事が遅すぎるんです」
「それはねぇ君があと30年勤めても変わらないよ。でもさぁ山のように積んである依頼書から自分のを先に処理してもらう方法はあるよなぁ。君が人に物を頼まれた時はどうしてるかな?」
 こんなことは学校ででも教えてくれないだろうと思った。

 どう見ても本人が用意したと思える「喪中はがき」!
「私、□□□□□は五月三日に65歳で人生を卒業し、黄泉の国へ単身赴任いたしました。・・・・・・」
 ってあのぅ、、、”まぁ笑って送ってよ”という声が聞こえてくる、、、。

 人との出会いを大切にと思ってきた。その分余計に数多くのさびしい別れを味わうことになった。今思えば私のためだけにいてくれたと思える先輩師匠が沢山いてくれた、感謝に耐えないです。

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