2008/11/27
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そもそもは「出前」が中心で、昼は線路をはさんで建築工事現場(S建設本社、T本社)にカツ丼30個、カレー20皿・・・などの注文に答え、夜は雀荘の出前と十分満足の日々だったのが、、、
建設はいつの日か完成し、雀荘は減る一方で、「どうしようか」のころに我々が行ったことになる。
このお店は元同伴喫茶(もう死語ですね)だったんだって。だからか、茶、黒系統が多くなんとなく薄暗い。
お客が一人もいない日、
「どうしたの?じゃこれから呼ぶから」と会社に電話して無理やり呼び寄せたりした。
21時過ぎに他のお客がいたりすると厨房に入って、出来た料理を運んだり(お客がびっくり)、自分たちの分を作らせてもらったりもした。炒飯が上手くなった奴もいたし、初めて見る餃子の焼き方に驚く。最初に油を入れない、最後に鉄板から剥がすために油を注ぐなんて聞いたことも無かった。中華包丁も使わしてもらった。
我々のせいではないけど、少しずつ夜食中心から飲食中心になってきた。これがマスターの狙いだったと思うけど、まだ21時になると料理人は帰すし、ドアも閉めてしまう。知ってる人だけ以降でも入ってくる状態だった。
一人で配膳・接客は無理というもの、大体がビール党のマスター、勧められれば飲んでしまう。ビールはお客が勝手に出して呑む。そんなんで勘定が・・・と思うでしょ!実は空瓶を勘定まで片付けさせない。最後はテーブルにビルの空瓶だけで、おもむろに数えるわけである。
その後も勘定秘話がたくさん、それもこれもマスター一人、客を喜ばせようとの工夫と思うことにする。
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