2008/11/27
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方言で苦労したことはあまりないが、学生のころ高知への演奏旅行の電車の中の親子の会話が全く理解できなかったことが衝撃として記憶に残ってる。
母は東京生まれ、長男次男も東京生まれ、昭和16年疎開のため父の故郷栃木県川内郡上三川町に帰ってきた。そんな家族は家の中では東京弁、外に出ると栃木弁という生活、"私は違う”でしょうか母のプライドは私たちが近所の子供たちと遊ぶのを嫌がった。そのせいか栃木弁はあまり使いこなせないまま18歳で上京したがおかげで方言で困ることはなかった。
ITコーディネータ仲間に鹿児島出身の方がいる。県央の高校に進学したとき彼の純鹿児島弁は同級生から笑われる対象となったそうです。その彼との会話、
「同じ鹿児島なのに笑われたんですよ。でもねぇ方言がなくなっていくのもなーんとなく淋しい気がするんですよ」
「そのうち方言教室が出来るんじゃないかな」。
さて、「方言」は地域限定ではなくて業界企業にも存在します。電力会社で”ヘンダイ”と言ったら「変圧器台」のこと、まぁどこてもやたらと省略することが多い。これも企業内方言と言っていい。SEとしてはそんなところに入って情報収集しなければならない。東京駅近辺の大地主のシステムを始めるにあったって「用語集」作りを提案したら意外と承認された。その中にいる人にはその言葉が方言だと意識してないから実に厄介なのです。
母は東京生まれ、長男次男も東京生まれ、昭和16年疎開のため父の故郷栃木県川内郡上三川町に帰ってきた。そんな家族は家の中では東京弁、外に出ると栃木弁という生活、"私は違う”でしょうか母のプライドは私たちが近所の子供たちと遊ぶのを嫌がった。そのせいか栃木弁はあまり使いこなせないまま18歳で上京したがおかげで方言で困ることはなかった。
ITコーディネータ仲間に鹿児島出身の方がいる。県央の高校に進学したとき彼の純鹿児島弁は同級生から笑われる対象となったそうです。その彼との会話、
「同じ鹿児島なのに笑われたんですよ。でもねぇ方言がなくなっていくのもなーんとなく淋しい気がするんですよ」
「そのうち方言教室が出来るんじゃないかな」。
さて、「方言」は地域限定ではなくて業界企業にも存在します。電力会社で”ヘンダイ”と言ったら「変圧器台」のこと、まぁどこてもやたらと省略することが多い。これも企業内方言と言っていい。SEとしてはそんなところに入って情報収集しなければならない。東京駅近辺の大地主のシステムを始めるにあったって「用語集」作りを提案したら意外と承認された。その中にいる人にはその言葉が方言だと意識してないから実に厄介なのです。
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