忍者ブログ
2008/11/27
[1] [2] [3] [4] [5] [6]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



 マンドリンはヴァイオリンと同じ調弦(E・A・D・G)大きい音が出しやすく上達しないと小さな音(pp)が出せないことも同じ。弦が複線つまり一つの音の弦が2本ずつありピックで弾く、調弦が厄介で苦手な方が多い。独奏楽器というより合奏楽器でしょう。
 普通のオーケストラと同じように
・ヴァイオリン → マンドリン
・ヴィオラ  → マンドリンテノールドラ=マンドラ
・チェロ   → マンドリンセロ
・コントラバス → マンドローネ
と配置されるがマンドリンオーケストラにするには、そもそも「マンドローネ」を弾く人がいないからかコントラバスを加え、さらにギターを加える。

 ここまでの楽器は息が合えば1発で音が出る楽器ばかり、ここに管楽器と打楽器が入ることがある。
 管楽器はフルートとクラリネットが良く使われる。音の相性がいいからですが、音を出そうと吹いてから音が出るまで一瞬の間がある。まして体調に左右され、難問は練習場所がないことです。私の家の裏の広い公園で良く練習してる人がいる。聞こえなくなると「あぁ卒業したのか」と思う。
 打楽器で良く使われるのがティンパニー、借りることが多いが意外と高い値段!しょっちゅう借りるわけには行かない。非常に効果的な「シンバル」難しいと思うのは重いし「ここでバーンと」と思っても間に合わないでしょ!序動作は早めにと言ってもねぇ。

 さて、さまざまな楽器の特性に加え演奏者も微妙に突っ込む癖、徐々にスピードアップしてしまう癖などの方がありで50人ほど集まっての合奏、一致する方がおかしいと思いませんか?ですから「指揮者」が必要なんですねぇ。
 その合奏団体のレベルも曲の完成度も指揮者によって大きく変わることになります。
 

PR


 私はギターの音色に惹かれ弾くようになったがこの楽器、独奏楽器でもあり合奏楽器にもなるほぼ完成楽器といえる。右手小指を除く4本の指の爪で弾くのが一般的で、この爪は強靭でなくてはならない。たとえギターの名手といえどもこの”爪”で悩む方がたくさんいます。マニキュアで補強したり、それでもダメで紙を瞬間接着剤で付けたりと涙ぐましい限り。私は多少強靭な爪を持っているので一応親に感謝している。

 この楽器の欠点は小さい音が簡単に出せるけど大きい音が出難いこと、他の楽器と逆で、たとえばヴァイオリンは最初から大きい音が出せるが上達しないと小さな音がたせない。そこで弦をスチールにしてピックで弾くようにしたのがアコースティック・ギター、電気増幅してスピーカーから音が出る手段でエレキ・ギターが出現する。

 自室で小さな音で自己満足的に楽しむことが出来る、しかしだからこそ合奏となると他の楽器に合わせられない人が多いですね。個人的には二重奏が一番面白い。相手の思うところが伝わってきて合わせて、まぁ楽しいキャッチボールです。
fumen.gif

18_2.jpg 楽譜は和音と単音(メロディと伴奏)が入り乱れるピアノの譜面に似ている。そのことから”小ピアノ楽器”とか”小オーケストラ楽器”と言われたりする。
 今愛用のギターは1969年河野賢作、古いですけど実は所有者は私ではないのです。学生のころの同期から借用してます。30年ほど倉庫に寝てると言うので厚かましくも借りることにした。寝てたおかげか現在すこぶるいい音色を発している。感謝。



 母の実家が国分寺、ここに蓄音機があった。レコードも沢山あって、6歳の頃の記憶で好んで聞いたのは「天津羽衣」の浪曲でした。”トトさんの名は十呂兵衛カカさんの名は・・・”ってえっとー名作なんだっけ。その母は時折琴を弾いてた。そんなガキの頃の記憶が音楽をする切っ掛けになったと思う。だけど身の回りには浪曲、演歌”チャンチキおけさ”あと落語でしたね。

 中学2年の1学期、急激に身長が伸び膝の関節がおかしくなって休んだ。治っても学校に行く気がせず1学期間全て休んだ。次兄の弾いた”禁じられた遊び”を自分が弾いてみたくてギターを弾き始める。ダメだしされてまた練習と、のめりこんでいった。ギターを弾けることが学校で知られ、とうとう人前で弾く羽目になったけど意外と平気なもの。それより、音楽の成績が突然”5”になったのには驚いた。”んないい加減じゃない”

 この頃ラジオから流れてきたビートルズに衝撃を受ける。なんという旋律、コード進行・・・自分には近づけないと感じる。来日武道館ライブを映りの悪いテレビで見た、、調律してると突然曲が始まる。”なんでぇそんなことができるのよ?”まだ「音感」なるものを自覚していなかったと思うなぁ。譜面を必死で弾いて覚えて何か作曲者と対話してるような感覚が面白くなっていったかな。

 どうしてもリズムに乗り切れないのは育ちのせいと決めている。譜面を買ってきて挑戦したけど、ボサノバを乗って弾くなんてやっぱぁ無理だって!。
 世の中に自分は音痴だと思ってる人が沢山いますが、幼児体験の影響はあると思うんです。でも合奏ではテンポ音痴が致命的で、まわりに迷惑をかけることになる。私は正直無理なところは弾いてる振りをしている。年の功と言うかごまかしがかなり上手くなってる。



1970_07_04_01m.jpg 前回の記事を書いてて何か懐かしくなって、写真をスキャンした。

 その前の年はこちらから大阪に行って関西大学との合同演奏でした。で事前に大阪で合宿なんですが(右写真)このときの宿は昔しの軍隊の宿舎、なーんか変だけど確か一泊100か200円ほどだったと記憶している。
このときの記憶で北村さんと二人やたらFFで弾いてて、先輩から
「なんだおめら!」
と怒られたというか、音が出るようになったと褒められたような、、。

  それから30年後に合同の同期会を行ったときこの合宿の裏話が。
「本当は一泊50円だったんだけど、誰も信じないと思って高くしたんですよ!」って。

1970_07_05_03m.jpg 合同演奏が先だったと思うがその後、合同で「大阪万 博水上ステージ」で演奏してるんです。
企画、運営が渡辺プロだったと記憶している。んで、自分たちの演奏以外にもプロの歌手「田辺靖雄」だったと思うんだけど「ボーラ-レ」のバック音楽を演奏した。ところがこの曲最初から♪ポーラレ♪と行く、こちらは音符に従うしかない!でも彼「絶対音」を持ってなかったのか次の楽器の音と会わない!

 このときの譜面が凄かった!音符が無い!コードだけ、しかも見たこと無いコードばっかり。それでも何か適当に弾いてたような記憶があるれど「これを弾けるのがプロか!?」って変な感覚でしたね。

74764984.jpg この方、大学のマンドリンクラブでお世話になってた。私にはどんなに凄い作曲家かも知らず、ただのおじいちゃんという感じでよく話してました。写真向かって先生の左隣りメガネを外している私。

 映画音楽をたくさん書いてますね、「次郎長三国志」「鞍馬天狗」・・・初めてチャンバラシーンに三味線を使った方なんだって。ある日深夜テレビで「独眼流正宗」を見て『先生!見ましたよ!』ったら、
「そうなぁ、あそこにもいいフレーズがたくさんあるんだよ、一曲作れるなぁ」
「私はねぇ商業音楽がいやで嫌で堪らなかったんだよ、やめてほっとしてる」
なーんて言ってたっけ。
音楽を始めたきっかけは、オルガンだったそうですよ。

1971_5_29_16m.jpg 思い出深い曲は「シルクロード」関西大学との合同演奏で、パートリーダーは調整のため大阪に行き帰りは深夜の鈍行便だった。
第7楽章地中海をイタリアに向かっての船旅のイメージでギター合奏になる、『もうすぐローマやっと終われる』と・・・、約1時間の曲ですよ、もうしんどかったの何の!。
左の写真凄い人数でしょ!なんとギターが28人です!席の配置に悩んでいっぱいメモを書いて、それが残っるアホな私。

 久しくこの先生の曲を合奏してないけど、今度立川で「山の印象」が弾けそうなので楽しみにしている。

カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カウンター
フリーエリア
最新CM
[08/01 Movies Trailer Blog Link]
[08/01 Movies Trailer Blog Link]
[06/16 小林 哲人]
[05/13 その息子]
[04/10 その息子]
最新記事
(09/21)
(02/25)
(02/09)
(11/05)
(07/24)
最新TB
プロフィール
HN:
saochian
HP:
性別:
男性
職業:
IT関連
趣味:
ギター演奏、映画、テニス
ブログ内検索
P R
あし@
フリーエリア
アクセスアップ OneNabi
バーコード
忍者ブログ [PR]