2008/11/27
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小学校は週1で休んでた、楽しみはラジオで聞く落語、浪曲、ドラマ、、、、
落語は好きでしたね。「まくら」の意味が分かってきた。結構これだけで笑わせられる。
看護師の採血に
-あのぅ小話でね-いやぁ看護婦さん全然痛くないですよ、上手いですねぇー、いゃ未だ刺していません、、、
って言った途端ケラケラ笑ってくれた
落語好きの友人もこれをやって受けたとの話、私もやってみた。そんなに受けると思ってないのにこれはいい。
この人いいなぁ、圓生、志ん朝、談志、、、、、好きだったのにみーんな居なくなってしまった。

これも不思議、バイト中男性看護師と落語で意気投合、、、から発展この方から演奏用のギターを借りることになった。しかも無期限!
落語は好きでしたね。「まくら」の意味が分かってきた。結構これだけで笑わせられる。
看護師の採血に
-あのぅ小話でね-いやぁ看護婦さん全然痛くないですよ、上手いですねぇー、いゃ未だ刺していません、、、
って言った途端ケラケラ笑ってくれた
落語好きの友人もこれをやって受けたとの話、私もやってみた。そんなに受けると思ってないのにこれはいい。
この人いいなぁ、圓生、志ん朝、談志、、、、、好きだったのにみーんな居なくなってしまった。
これも不思議、バイト中男性看護師と落語で意気投合、、、から発展この方から演奏用のギターを借りることになった。しかも無期限!
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ほんとに久しぶりです。52歳で会社を辞め以来ITコーディネータになっても楽になれず、次々に仕事を変え、?もしかしたら本々仕事の選択を間違えたのかと思ったりした。 なぜならここ数年ものづくりが楽しくてしょうがない。
思うのは職業への選択肢がなかった。身の回りに見える職業、学校で教えてもくれない、
昨日84になる北大卒の方と話してたら、学生のとき企業見学と称して全国の企業を無料で回ったとの話に、何で俺はそんな事が無かったのかと、おかしくねえかそれ。
あれから18年いい仕事をしたなと思うのは、「立川マンドリン」のHPを作り保守を担当したこと。現在11万件以上のヒット数となっている。途中「何とか有料にして欲しい」とただをこね、安いけど千円/月、まぁいいっかです。
そんなこんなで古希になってしまった、息子から祝いの酒、孫からのメッセージ、とんでもないのが府中のコンビニのお姉さんからもお祝いのゴディバチョコとビース一箱、これも変かな。
思うのは職業への選択肢がなかった。身の回りに見える職業、学校で教えてもくれない、
昨日84になる北大卒の方と話してたら、学生のとき企業見学と称して全国の企業を無料で回ったとの話に、何で俺はそんな事が無かったのかと、おかしくねえかそれ。
あれから18年いい仕事をしたなと思うのは、「立川マンドリン」のHPを作り保守を担当したこと。現在11万件以上のヒット数となっている。途中「何とか有料にして欲しい」とただをこね、安いけど千円/月、まぁいいっかです。
そんなこんなで古希になってしまった、息子から祝いの酒、孫からのメッセージ、とんでもないのが府中のコンビニのお姉さんからもお祝いのゴディバチョコとビース一箱、これも変かな。
あえて口に出してその人に言う言葉ではなくて、ただひしひしと感じるものと思ってきた。が、一体どこからその感情が始まるのかを最近考える。
「お客様に信頼されるように仕事を頑張ってください」とか、
「信用が第一です、気を抜かないように」
本当にそうなのか、ただひたすら頑張っていれば信頼されるのか?
一方最初に営業部門に行くと必ず言われること、
「営業の第一は自分を売ることです」
そんなぁ、あいまいな。。。
意外なことですが”自分を表現する”って簡単な方と苦手の人がいるんです。演出?いやもっと言えば自分が自分の演出家っつうと落語家だぁな。
信頼の始まりは「相手を知ろう」とする興味からではないだろうか?そして自分にないものを感じたり、同じ感情を感じたりして「このこの人なら」と思うのではないか。
今までなんで?と思うことが沢山あった。そういう意味では頑張ってはいないのにである。
「あぁあの人と開発やったのかぁ、飲みにいこうか」となった。まるで間接的な信頼のような。
そもそも、職種、役職で人を判断してはならない、仕事に上下はないと考える。あるのは大きな社会の一人分の役割を果たすこと、時計の中の1つの歯車のようにである。厄介なのは人には見栄とか自尊心とかこれを惑わす感情があること。
佐伯泰英「陽炎の辻」~居眠り磐音江戸造紙・・・ここに絶大な信頼と愛が描かれている。ここ数ヶ月日1冊の割で読む。信頼したあとの相手の対応がなんとも凄い。そんな事無いないと思いながらなのです。
「オレの葬式の親戚代表はお前だからな。そん時はあれとこれと、、、(細々)必ず言ってくれ」
「そんな、覚えてられる訳ねぇじゃ、ちゃんと書いて分かるようにしとけや」、、、
そんなことが本当になってしまった。そのときの内容には全く触れず、私と長兄にしか知らない話をしてしまった。
昭和9年2月生まれ戦後の農地改革、機械化、、、最低の生活だった。
写真は1955年お袋が撮った。
脊髄を悪くして百姓は無理という話になったとき、
「いいよオレがやるよ」と私、まさか、こんなチビにはやらせられないと長兄は思ったらしい。
それでも、50代後半から20年間町会議員をやり人並みの生活ができたこと、良かったと思う。
酒の飲み方、人の見方、哲学、、、親父以上だったかもしれない、
四ツ谷、紀尾井ホール、いいホールですね。ステージには70名が楽に。客席は近く感じ、2階席がくるっとステージサイドまで。(ハハハ)ここにお客さんいましたね。何かベース奏者の身内とか。
そもそも、「コムラード」の名付け親「鈴木静一」、作ったのはわれらが同期の面々。
「今年は40回記念だからできるだけ参加しようよ」と、その席では7名はいけるかなと。まぁ、一人減り一人山口から増えたり、それでも最終5名が参加した。
後半、同期の一人と飲むことになって、これが楽しくなった。「落語」が共通の話題、学生の頃の彼とはそれほど話してなかったのに不思議なおもいてす。
演奏会のメインは鈴木静一「失われた都」ですね。大宰府をテーマにした大曲です。不思議な曲です、初めて聴いた方が「この曲凄い」といいます。そして演奏者が気持ちを込められやすくて、それでいて気持ちよく演奏できる。
本当に気持ちよく演奏できました。
初めてきた仕事仲間のKさんからワイン、昔お世話になったOさんからマカロン、そして今度仲間になりそうな19歳からスフレと感謝感謝です。
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