忍者ブログ
2008/11/27
[12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



 課長になった:けど開発力の低いメンバーが17名。なのに開発の仕事が次々に受注できた。仕方なく協力会社に依頼すると最初に二人韓国の人がきてくれた。それもかなり優秀なのに関心する。
 たまには慰労をかねてと東京駅近くの店に、
「ピザは食べますか?」
「大好きです」と食べる前にあの辛いタバスコをかけ始めたが、ん?なんと1本分カラになるまでかける。
「なーんてことすんの、コレ誰が食うんだよ!」と、それを平気でぺろりと食べてしまった。
 彼らの優秀さに気を良くして次々と韓国メンバーを増やして、多いときで30人近くなった。彼らと付き合ううちに私もあの辛さに慣らされていき、とうとうタバスコたっぷりのピザまで食えるようになってしまった。

 ある日、『子供が一歳になるお祝いがあります来てくれませんか』と招待された。日本の七五三のようなもので、小さい小指に金の指輪をはめる。
 私はせめてと缶ビールを何本か買ってお祝いに出席した。と、ぞろぞろよくもとこんなにと韓国の方が集まってくる。が皆さん手ぶら何も持ってこない!ましてや食事が始まると「おかわり」する人まで。そうなんです、お祝いは全て振舞うんですね、習慣の違いを思い知らされた1コマでした。お土産にいただいたキムチが実に美味かった。

 韓国ではアパートを簡単に借りられないと言う。日本でマンションを買うほどの費用を最初に用意しないといけないんだって。結婚したくても住まいが確保できないって、つらいだろうなぁ。で、結婚しても「男尊女卑」長男が日本で生まれた途端に胸張って帰国したのがいた、女の子が生まれるのと全く違うらしい。あと、「学閥」も凄いって・・・なーんか古ーいの日本と言う感じ。

 思うのは中国の流れ影響を受けている国、自己アピールは強く展開によっては嘘を平気でつく。優秀なんだけど、結局ただの「出稼ぎ」だったことが分かってなーんか空しく感じた。バブルがはじけて『日本人が食えねーんだから帰りなさい』って、そのとき韓国で誰が何処に誰がいるかのしるしと電話番号が書かれた地図を渡された。余裕が出来たら行ってみたい。
PR


 1988年から約10年お世話になった社外の方、独身でピカイチの営業マン。いい店をよく知ってたし、裏のビジネス情報にも詳しかった。
 彼が42歳のときある女性に猛烈アタックしてとうとう結婚した。22歳下のしかも中国四川省の方と。
 決めに中国に渡り相手の家族との面接をクリア、家族を日本料理店に招待!一人1万円とこちらと変わらない。
「あんた一年の給料を一晩で使うの!」って言われたそうです。

 いよいよ結婚!ここから時間がかかる、役所の許可がいる、
「分かった、じゃ来週病院の検査を受けなさい」ってそんなぁ
「オレ日本人簡単に来られないよ!すぐ検査でもなんでやってよ!」と袖の下を渡した!。
んで病院へ、本人曰く『あそこをムンズと摑まれて、よろしい』だって。はぁ?

2002-0831m.JPG 結婚証明書なるものを見せてもらった。真っ赤なカバーに二人個別の写真貼ってありそこに割り印、これはいいですねぇ、国にも許可された夫婦って感じ。そこまでに3ヶ月ほど、で相手が日本にすぐ来るのかと思えば、さらに出国許可に約6ヶ月かかるところまたまた袖の下で4ヶ月に。いやはや。

 その後彼は転勤願いを出しとうとう中国北京に住み着くことになってしまった。連絡が途絶えて4年ほどになるが、人伝に会社辞めてあちらで何かやってるらしいと聞こえてきた。自ら道を切り開き労を惜しまない彼の姿勢・生き方に敬意を表したい。(写真は新宿、2002年帰国したときのもの)

 このパターンは向こうでも上手く行くそうです。本気で中国を良く理解してないと悲惨なことになることもしばしばあるそうです。
 まず多民族国家であることこれは米国に近いがそれいゆえを理解しないとならない、社会主義国家であることこれは経験がないから理解に苦しむ、そして「三国志」のごとく裏切りOKだと思う方がいいようです。一時期工場を中国に移転し空洞化なんて騒いでたけど、今はどうなってるのやら。
 数年前のマンドリン同期会で”中国進出”というある工場長に、私ともう一人から雨あられのごとく教えやら戒めやら脅しやら1時間以上も。『出来たら止めた方がいいよ』と言っても社長じゃないしなかなか簡単じゃない。

 パソコン(パーソナルコンピュータ)なるものが世の中に出てきたとき思った、
「素人がこれを使いこなすのかよ」と。
その前かあとか「日本語ワープロ(ワードプロセッサ)」なーんてのもあったけど短い命でしたね。

 まだ当時は家電ではなくメーカー販売。しかしビル・ゲイツは「ばあちゃんが使いこなせるようにしたい」を夢としていたんですよ。ねぇ夢がほぼ叶ってしまったら販売も家電になってしまった!(ハハハ)。

 おかげで「SEもどき」も「パソコンおたく」も現れて、元もとプロだった人にとっては区別が付かないやーな感じ!
「パソコンで出来て何でコンピュータじゃなぜ出来ないの?」
って質問に答えるのが四苦八苦って場面も。

 一人一年間に一台数千万円のコンピュータを販売する、これが成り立ってた。たとえ10%利益としても10万円を売るのでは、違いすぎるのですね。だから家電になってしまった。家電だから量を売ることがメイン。そこにはつまらない販売戦略が存在したりする。使い方なんて教えない、仕方がない、ですよねぇ。でも、、、。

 実はIT関連から始まった、1973年ごろ契約こそ違えど同じ、派遣とどこも変わりない。

 私のところにも多いときでオペレータとして10人いたな、、
「この仕事始めたからにらはSEを目指そうよ!オレについてこられるなら必ず行かせて見せる」
なーんて・・・いや酒の勢いよ。
「じゃ、やります」って5人ほどかな、
「要らないデータを削除したり、あるところにデータを追加するプログラム作って」
と仕様書を渡したらプログラムを作った奴がいた。

 それから2年ほど眠ったままのプログラムがある日、大学の講師が博士号を取るため大量のデータを持って計算機使用を依頼してきた。
データの解析だったが思う結果が出ない、データが間違ってる、追加データがある・・・・
そうなんですこのときその彼のプログラムが役に立ったんです!
私もまさかぁだったけど当の本人はもっとまさかの興奮状態でしたね。その後、博士号を取得したとの連絡も嬉しかったが、今でもSEとして活躍している彼に懐かしくも嬉しく思う。

 派遣では本人の成長が望めないですよ、書いたような環境はまず作れないのでしようね、、、。
 やはり政治への不満がつのるるばかりです。こんなに人を犠牲にしてもいいという日本の風土ではなかったはずなのに。



 銀行金利が付かないのに手数料の比率の高いことに怒ってる方、絶対多いはず!。
個人の口座と違って会社の口座を持ってPCダイレクトをやってた。毎月手数料2000円、、ま、いいかの感じだったのにある日手数料として3万4千円が引かれてた?なんで゛?

 普通だったら「しゃやないか」の感覚だけどどうしても納得がいかなかった!→「勝手に何すんの!」です。
さすがに頭にきて銀行に行った、
「納得できない、普通の買い物を考えなさい!買うつもりの意思も関係なく請求の告知もなく勝手に支払われてるって、おかしいとは思いませんか?」
って怒鳴り込んだ、いやきっと通用しないだろうと思ってた。
「いやこれは規則ですから、申込書に書いてあるで゛しょ」
案の定の回答!でも粘った(ずーっと『冷静に、冷静に』と思いながら、でもトーンが高くなる)
「あなたが買い物をすると考えなさい、買うと決めないうちに勝手に口座から引かれるっておかしいでしょ!」
窓口の女性から、とうとう役職の方が出てきて、、、また同じ話の繰り返し、、そして!
「分かりました、では返却の手続きをします」
って、え!オレの言ってる事が通ったのかよ。

 この話を友人にしたら金融庁に言った方がいいよ絶対同じような人がいるよ、といわれたけど、、ごめん、そう思うけど結構勇気のいる行動だったのよ。

カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
カウンター
フリーエリア
最新CM
[08/01 Movies Trailer Blog Link]
[08/01 Movies Trailer Blog Link]
[06/16 小林 哲人]
[05/13 その息子]
[04/10 その息子]
最新記事
(09/21)
(02/25)
(02/09)
(11/05)
(07/24)
最新TB
プロフィール
HN:
saochian
HP:
性別:
男性
職業:
IT関連
趣味:
ギター演奏、映画、テニス
ブログ内検索
P R
あし@
フリーエリア
アクセスアップ OneNabi
バーコード
忍者ブログ [PR]